
近頃、以前にも増して「働き方改革」という言葉を聞くなーと思っていたら、働き方改革関連法案が国会の目玉なのね。
ただね、今の「働き方改革」とか「働き方改革関連法案」に関するニュースを読んでいると、何か違うんじゃない?って思うことが多いのよ。
なんというか、現場から遠く離れた偉い人たちが、現場を全く見ずに、自分たちの点数稼ぎのために、あれこれ小手先でごまかそうとしているようにしか見えないんだよな。
働き方改革をした結果、企業や国が弱体化したら意味がない
働き方改革って、そもそも何のためにするんでしょうね。
厚生労働省のWebサイトを調べたら、こう書いてありました。
我が国は、「少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少」「育児や介護との両立など、働く方のニーズの多様化」などの状況に直面しています。
こうした中、投資やイノベーションによる生産性向上とともに、就業機会の拡大や意欲・能力を存分に発揮できる環境を作ることが重要な課題になっています。「働き方改革」は、この課題の解決のため、働く方の置かれた個々の事情に応じ、多様な働き方を選択できる社会を実現し、働く方一人ひとりがより良い将来の展望を持てるようにすることを目指しています。
ふむふむ、なるほど。
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- 少子高齢化に伴う労働人口の減少
- 働く人のニーズの多様化
- 生産性の向上
- 働く意欲や能力のある人に対する機会の提供
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この4つに対応することが目的なのね。
でも、これって目先の目的ですよね。これらを実現した先にある「理想の姿は何?」を見ていくと、
多様な働き方を選択できる社会を実現し、働く方一人ひとりがより良い将来の展望を持てるようにすること
なんですよね。
『働く方、一人ひとりがより良い将来の展望が持てるようにする』
これって、すごく大事なワードだと思うのです。
より良い将来の展望を持てるようにするためには、まず「安心・安全」って重要なキーワードだと思うのです。
会社が潰れてしまうかもしれない、日本はどんどん衰退していくのかもしれない。
もしもこんな状況に置かれたら、「より良い将来の展望が持てる」なんてことはないはず。
ということは、「より良い将来の展望が持てる」ためには、労働者のメリットだけじゃなくて、企業も国もメリットがないとダメだと思うのです。
でもね、今の働き方改革って目先の数字を何とかしよう、とりあえず労働者にメリットがあることを言っておけば叩かれないし、票集めに役立つと考えているようにしか見えないのです。
企業や国が衰退したら、賃金だって上がらないし、雇用の機会も減る一方。
そうしたら、働き方改革もへったくれもないはずですよね。
残業時間を減らすだけでは、「働き方」は変わらない
日本人は、マジメで完璧主義の人が多いし、頑張ったら報われる!的な考え方も根強いので、長時間労働になりやすいですよね。
だから、「過労死」してしまう人も多い。
そういう背景があるから、ムダな残業時間を減らそう!と言うのは分かるし、取り組むべきことでもあります。
それに長時間働いたから、良いものが出来るわけではないですしね。
ただ、現場の状況や仕事の繁閑を全く無視して、ただ「残業禁止!」「◯◯時間以上は罰則」と機械的に削減しようとするやり方ってどうなんでしょう?
今日の日経新聞の夕刊にユニ・チャームの高原社長の「リーダー論」が掲載されていたのですが、そこに、こんなことが書かれていました。
「いま日本は働き方改革の論議が盛んですが、時短みたいなことばかりに目が向いてしまうことには、危機感もあります。やはり、時間を忘れてやるくらいの偏執的な要素が根底になければ、イノベーションは生まれません。本当に苦しい時の下支えになるのも野性です」
本当にそうだなと思いました。
さっきも書いたけれど、目先の数字に囚われたことで、企業や国が衰退したら本末転倒です。
働き方って個人の状況によって大きく変わりますよね。
育児や介護などで、残業は出来ないという人もいるでしょうし、今はプライベートよりも仕事を優先して、スキルや経験をつけたいという人もいるでしょう。
厚生労働省が掲げているように『働く方の置かれた個々の事情に応じ、多様な働き方を選択できる社会』を目指すなら、ただ、残業時間を減らすことだけに目が向くのは本来おかしいのではないかと思うのです。
以前の記事でも書きましたが、働き方改革って「成果の出し方改革」なんですよね。
モノづくりの時代は、長く工場を稼働させることで売上を伸ばしてきたし、成果を上げてきた。
でも、今のような知的労働の時代は、長く働くことと売上を伸ばすことは、イコールではありません。
ということは、今の時代にどうやったら成果を出すことが出来るのか、売上を伸ばすことができるのか。
その手段のひとつが「総労働時間を減らす」ことだと思うのです。
今は「労働時間を減らす」ことありきで議論をしているけれど、本当は順番が逆なんですよね。
残業時間を減らせ!と号令がかかり、ある一定の時間を過ぎると電気が消されたり、始末書を欠かされたり。仕方なく会社を出るけれど、仕事は終わらないから近くのカフェや家に持ち帰って仕事をする。
こんな話もよく聞きますが意味ないです。
単なる手段の目的化です。
だったら、必要な時には必要なだけ働けるようにする、必要ないときには早く帰れるような裁量を従業員に与えた方が、ずっと理にかなった「働き方改革」だと思うんですよね。
目に見える数字だけを取り上げた方が、何も考えずにすむから楽
すごく嫌な言い方ですが、目に見える数字だけを取り上げた方が楽なんです。
残業時間を◯時間削減しました!
総労働時間◯◯時間以下!
有給取得率◯◯%以上!
とっても分かりやすいし、インパクトがありますよね。
人事をしている人なら分かると思うのですが、人に関することって、本来成果が見えにくいのです。
私は今、企業の中で組織開発の仕事もしていますが、人材開発や組織開発って、結果が出るまでに時間がかかります。
施策をしたからといって、2~3か月で目に見えて良くなるか?と言われれば、残念ながらそんなことはありません。
組織開発はよく漢方薬に例えられるので、ジワジワと体質改善をしていくようなイメージなんですね。
それに比べて、数字で表せるものって即効性があります。
だから、何となく仕事をした気になれるのです。
私には、単に楽したいだけにしか見えないのですが、多くの場合、それが評価につながったりするんですよね。
ほんと残念。
何のための「働き方改革」なのか。もう1度原点に立ち返る必要があるんじゃない?
時短をすること
残業を減らすこと
有給取得率を上げること
同一労働同一賃金にすること
ひとつひとつの施策は、良いものだし、「こんなことする必要ない!」なんてことは思いません。
でも、やっぱり施策ありきで話が進むのは変だと思います。
働き方改革とは、何なのか?
そもそも、厚労省が掲げるお題目は妥当なのか?
自分たちの会社にとっての「働き方改革」とは何なのか?
それを改めて考える必要があるんじゃないかな?
何だか、今のまま「施策ありき」「数字ありき」で表面だけを整えた先に、『働く方、一人ひとりがより良い将来の展望が持てるようにする』という未来が私には見えないのですが、あなたはどう思いますか?