
「存在給」
定期的に私のブログの検索ワードに上がってくる言葉です。私、存在給に関する記事って、1回しか書いたことないはずなんだけどな。
それでも検索ワードに上がるということは、気になっている人が多いってことですよね。「存在給」という言葉に現在進行系で振り回されている人も、多いのだと思います。
そもそも存在給とは何か。
それは、「人はそこに存在しているだけで価値がある。だから、その価値にふさわしいお給料をもらう権利がある。どれぐらいの価値があるかは、自分で決めていい」というもの。
起業女子界隈では、自分のサービスに値段を付ける際に、この「存在給」という考えかたが、ちょいちょい顔を出すんですよね。
「私の存在給は◯◯円だから、サービスの値段も◯◯円」ってね。
安い値段(と言っても、一般的に考えると普通)を付けると、「あなたの存在給はそれぐらいなの?お金を受け取れないのは、ブロックがあるせい」だと言われます。
だから、どんどん麻痺してしまって、自分のサービスの質に見合わない値段がつけられていくんだよね。
起業女子界隈の価格設定が変なのは、この「存在給」という考えかたも、大きく影響しているんじゃないかと思うわけです。
起業している人が「存在給」で値段を付けるのは自由です。
買ってもらえるのかもらえないのか、満足してもらえるのかもらえないのか、それは提供者とクライアントの問題だから。
でも、会社員で「存在給」の考えかたを信じていると、ものすごく危険です。
下手をすると「存在給」どころか、どんどんお給料が減っていくような事態にもなりかねません。
そもそも、人としての存在価値とお金を稼ぐことは、全く別次元の話
人は、存在しているだけで価値がある
これは、その通りです。
だから、もし「私は存在する価値がないんだ」と思っている人がいるなら、「そんなことはないよ」と言いたい。
でも、それと「いくらお金を稼げるか」は全く別の問題です。
なぜなら、「その人自身の価値」にお金を払うのではなく、「提供されるサービスもしくは労働」に対してお金を払うから。
私は人事制度の設計もしていましたが、「個人の存在価値」を評価軸に入れたことはありません。
他の会社でも聞いたことないよ。
例えば「エンジニアとしての価値」「人事としての価値」「営業としての価値」「管理職としての価値」のように、役割に対する価値は評価対象になるけれど、それは、「人」そのものの価値ではなく、その役割をどれぐらい遂行してくれているか、というだけの話です。
年功序列だってそうだよね。
「会社に勤務している年数」に対して、お給料を支払っているだけだからね。
(年功序列が良いのか悪いのかは、また別の話)
存在給が高いんだから、もっとお給料の高いところに転職できるはず?!
会社員で、存在給の考えかたを持っているのは危険だよ、と言うのは、誤った考えかたで転職したり、会社を辞めたりする人が出てくるから。
存在給の考えかただと、「自分の価値の分だけお金が稼げる」わけです。
だから、「価値のある自分は、もっとお給料の高いところに転職できて当たり前。こんな安いお給料で働いているなんて、私自身の価値を低く見積もっているわ!」という理屈なんだけど。
さっきも書いた通り、会社が「存在としての価値」でお給料を決めることはありません。
有名企業の管理職だったとか、お客さんをたくさん持っているとか、一見「存在としての価値」に見えるけれど、それは、その人が持つバックボーンに価値を見出しているだけです。
あまつさえ、何も持たない人が「私には価値があります!」と言ったところで、採用面接では、「はぁ・・・」と思われるだけですよ。
もちろん、転職が悪いわけではありません。
年収アップで転職できることもあります。
でも、何度も言うけれど、それは「あなた個人としての価値」ではなくて、過去にやってきた仕事のスキルや経験に価値を感じて、それに見合った報酬を支払っているのです。
ここを勘違いすると、どんどん泥沼にはまりますからね。
「存在給」が原因で、職を失う?!
しつこいね、私(笑)
でも、大事なことなので何度も言います。
「存在給」なんて考えかたを持っていると、下手すると職を失うよ。
私の存在給は、こんなに安いはずがない。だから、こんな会社は辞めよう。
もっと私の存在給にふさわしい会社に転職しなくちゃ。
実際にこういう発言をしている人をアメブロやFacebookで何度も見かけました。
そして、多くの場合「そうだよ!◯◯さんには、それぐらい価値があるよ」というコメントが付くんだけど。
ちょっと、待って!!!!
それ、下手したら無職への第一歩だからね。
これも何度も何度も書きますが、会社は「個人の存在価値」に対してお給料は払いません。
その人が、会社にどんな利益をもたらしてくれるのか、どれぐらいの伸び幅と可能性があるのか、それに応じてお給料を支払うのです。
いくら自分自身が「私の存在価値は年収1000万」と思っていても、会社がその価値を感じなければ、1000万はもらえないんだよね。
当たり前のことだけど、存在給を固く信じている人には、これが通じないんだな。
最初は勘違いしていても、途中で「おかしいな」と気付くならいいです。
でも、気付かなかったらどうなる???
年収1000万の仕事を探し続けて、でも決まらない。
求職期間はどんどん長くなりますよね。そして、求職期間が長くなればなるほど、次の仕事は決まりにくくなります。
前の会社を辞めてから◯か月経っていますが、その間、何をしていましたか?
空白期間が長ければ、必ず聞かれます。
その時何と答えますか?
それに求職期間が長くなれば、それこそ「私は社会にとって必要ないんじゃないか」「もう、私を必要としてくれる会社はないんじゃないか」と自分の存在価値を疑うような羽目になっていくんです。
これは、リーマン・ショックで会社都合の退職となり、その後、なかなか仕事が決まらなかった私が、思っていたことです。
あの時は、本当にキツくて、ベッドから起き上がれない日が何日も続いたもの。
この状態が続くと、「働かせてくれるならどこでもいい」という精神状態になっていくんですよね。
すると、存在給1,000万円どころか、前の会社のお給料に満たないってことだってあるのです。
スキルや経験を身に着けないまま、やみくもに転職すれば、転職するたびにお給料は減ります。
存在給って、一見素晴らしい考えかたのように聞こえるけれど、その実態は、とても怖いものだと私は思っています。
人の存在そのものの価値と、お金を稼ぐ価値は全く違う。
今、自分が持っているスキルや経験、知識はどれぐらいなんだろう?
それを高めるためにはどうしたらいいんだろう?
お金を稼ぎたいと思うなら、それを考えて実践していく方がいいですよ。
それにさ、「私の存在給は1000万だから、年収1000万」って、あなたの存在はそんなに安くていいの?
私はイヤだよ。
存在給だと言うのなら、億単位のお金は欲しいわね!