
天職なんていらない
仕事が天職かどうかなんて全然関係ない
私はそう思ってますし、そう言い続けていますが、天職を探して迷子になっている人たちって、相変わらず多いのですね。
天職かどうかを知るための「魔法の質問」として、まことしやかに言われているのが
仮に無償であったとしても、それがやりたいかどうか。
もし、やりたいと思ったら天職で、思わなかったらそうではない可能性が高い
というもの。
私は、この質問は「魔法の質問」ではなくて「呪いの質問」だと思うのです。
「無償でやりたいと思えないなんてダメなんだ」「どこかにきっと、無償でもやりたいと思える仕事があるはずなんだ」と、強制的に天職迷子を作り出す呪いの質問。
呪いの質問に惑わされちゃダメですよ。
無償でいいなら「仕事」じゃなくていい
そもそも、無償で良いなら「仕事」にする必要はないんじゃないのかな。
私は今、キャリアコンサルティングの仕事と組織開発の仕事をしています。
もちろん、どちらもお金をいただいてやっているものですし、どちらもとてもやりがいのある仕事です。
クライアントが変容していく姿、悩みを解決して表情が明るくなっていく姿を見られるのは、とても嬉しいですし、自分自身も成長していることを感じています。
だから、当分、この仕事を辞めるつもりはありませんし、もっともっと自分のスキルと経験を積んでいきたいと思っています。
でも、「無償で今と同じことをやってほしい」と言われたら、きっとやりません。
私にとって「仕事」とは、自分が提供するものに対して対価をいただくもの。
期待されている以上の結果を出したいとは思うけれど、それはあくまでも、対価をいただいているから。
「無償だけど期待しているから」では全然やる気になりません(笑)
そもそも、無償でやるなら仕事じゃなくてもいいんじゃないのかなと思うのです。
対価をもらうからこそ生まれる責任感
私にとって無償でやりたいことは、無償「だから」やりたいことです。
対価をもらうと、そこには責任が発生するんですよね。
それは、どんなに好きなことであってもです。
少し古い漫画ですが、映画にもなったNANAの中に、こんな場面がありました。
漫画が手元にないので、セリフなどは正確ではないですが・・・
デビュー曲が大ヒットして、一躍スターバンドに駆け上がったBLACK STONES。
バンドの作曲を担当しているノブが、曲作りですごく苦労をするんです。書いても書いても、ダメ出しをされると。
ノブは「自分たちらしい曲で勝負したい。大衆受けを狙った曲なんて作りたくない。ファンだったら、自分たちの音楽を分かってくれるはず」と言うんですよね。
すると、バンドのリーダーであるヤスが、「大衆受けを狙った曲が今の自分たちに求められているもの。それが出来ないならプロじゃない」と諭すわけです。
まさにこういうことなんですよね。
対価をいただいた瞬間に、どんなに好きなことであっても、そこには責任が伴います。
100%自分の好き勝手にできるわけではありません。
時には自分の意と反することだって、しなければいけないことがあるんですよね。
対価をいただくからこそ生まれる責任感と、それに答えようとする行動。それこそが「仕事」なんだと私は思うのです。
仕事への意味付けは自分で好きにすればいい
無償であっても、今の仕事を続けたい
対価がもらえなくても、責任をもって提供している
そういう人もいると思います。実際、私の知り合いにいますしね。
だから、『無償でもやりたいことをやっている人は無責任』だと言いたいわけではないし、『天職なんて絶対にない』と言いたいわけでもありません。
もし、今の仕事を天職だと思えていて、無償でもやりたい!と思えているなら、それはとても素敵なことだと思います。
ただね、「天職を見つけなければいけない」「天職とは無償でもやりたいと思えることだ」という呪いの言葉にはまっているなら、それは違うよと言いたいだけです。
これまた、何度も言っていますが、仕事の定義付けなんて自分でしたらいい。
天職だという言葉を使って、仕事を神聖なものにしたいのかもしれないけれど、そんなことをする必要は全然ないんですよ。
天職であろうがなかろうが、自分が仕事に対して、やりがいを持っているならそれで良し。
仕事を「お金を稼ぐための手段」だと割り切るのも問題なし。
無償でやりたいことが天職である・・という言葉が自分の足かせになって、天職迷子になっているなら、そんな呪いの言葉はさっさと捨てましょう。
天職なんていらないし、天職につかなくたって、仕事のやりがいはいくらでも感じることができますからね。
天職探しに振り回されて疲れてしまったら、1度会いにきてください。
きっと「天職なんて探さなくても良いんだ」と思えるはずですよ。