昔から、源氏物語が大好きです。

初めて読んだのは、高校生のときに母から勧められた、田辺聖子さんが書いた『新源氏物語』

いきなり「空蝉」から始まったり、途中が端折られていたりはしますが、雅で親しみやすくて、あっという間に源氏物語の虜に。

 

元々は母の本だったのに、あまりにも気に入り過ぎて、譲ってもらった思い出の本。

もうボロボロになっていますが、今だに何度も何度も読み返しています。

 

そこから私の源氏物語好きが始まったのです。

そして、そんな流れで大塚ひかりさんという古典エッセイストを知ることに。

 

大塚ひかりさんのエッセイは、どれも面白くてオススメなのですが、最近、見つけたこちらの本。

源氏物語の教え――もし紫式部があなたの家庭教師だったら

大塚ひかりさん+源氏物語となったら、買わないわけにはいきません。

陳腐な表現で大変申し訳無いのですが、とてもおもしろかったです。

 

そして、最近流行りの「願えば叶う」「頑張らなくてもうまくいく」は、1000年前の時代でもウソだったんだなと思いましたよ。

 

1000年前から武器になるのは知識であった

平安時代と言えば、当たり前ですが今よりも医療も科学も発達していません。

原因不明の病気は、物の怪の仕業だと信じられていたし、生霊やら祟りやらも信じられていましたよね。

陰陽師である安倍晴明が活躍したのも平安時代。

 

今で言うオカルトやスピリチュアルは、とても身近だったのではないでしょうか。

そう考えると、「願えば叶う」は、平安時代に取り入れられてもおかしくはないですよね。

 

確かに病気治癒の目的で行われた加持祈祷は、ある種の「願えば叶う」なのかもしれません。

でも、普段の生活でもそうだったか?と考えると、どうやらそうではないらしいです。

 

源氏物語の教えの中に、こんなことが書かれていました。

たしかに彼女は、二十代後半でやっと父親ほどの年齢の夫と結婚したと思ったら、夫を亡くし、乳飲み子を抱えて大貴族に使える女房になった。けれど、漢文の才がなければ、女房になったとしても家庭教師として厚遇されることはなく、かといって、いい男と再婚できるかどうかも分からず、さらなる不遇が待ち受けていたろう。

『紫式部日記』では、学問をする女への世間の風当たりの強さを描いた紫式部だったが、『源氏物語』では、藤壺のような国母(天皇の母)となる至高の身分の女には、漢学の知識があるように描いている。

 

上記引用の「彼女」とは、紫式部のことです。

当時は女性に学問は不要だと言われた時代。

そんな時代に女性が知識をつけると言うことは、今の何倍も何十倍も大変だったはずです。それでも、紫式部は「良い職を得るには女性にも学問(知識)が必要である」と言っています。

 

今だって同じですよ。

継続的に良い仕事をしようと思ったら、スキルや経験、知識は必須。それがなければ、たとえ一時的にうまくいったとしても、どこかで必ず終わりがきます。

終わりが来てから、気づくのでは遅すぎるのです。

 

「自分を知らない」のが実は一番怖かった

源氏物語きっての怖い女と言えば六条御息所。

彼女は高貴な身分でありながら、生霊となって、恋のライバルである夕顔や葵の上を呪い殺すし、死んでからも紫の上を危篤にしたり、女三宮を出家させたりと嫉妬の塊。

 

それを紫式部は「自分を知らなかったから」だと言っています。

確かに六条御息所って、自分が夕顔や葵の上を恨んでいたことに気付いてないんです。

自分はそんなことはしないと思っている。

 

でも、心の奥底では恨んでいるし、嫉妬しているから、それが生霊となって表れたんですね。

これ、他人事だと思いますか?実はそうではないんじゃないかな。

 

例えば、キラキラ起業女子の間でよく使われる「愛」や「感謝」という言葉。

確かに言葉だけ聞けば美しいです。でも、本当はその奥に嫉妬や黒い感情が隠れていませんか?

 

それがダメだと言うのではないですよ。

そういう気持ちを見て見ないふりをして押し込めて、表面上だけ「愛」だの「感謝」だのをつぶやいても、押し殺した感情は、どこかで出てくるよ!ということ。

 

だったら最初から、黒い感情を認めてしまった方がずっと健全。

自分にそういう感情があることを知っていれば、いくらでも対処のしようがあります。

だけど、知らなければどうにもできないのです。

 

まずは、プラスの面もマイナスの面も合わせて「自分を知ること」ですよ。

 

自分の幸せは自分で決める。自分の力で達成するからこそ、喜びにつながる

「頑張らなくてもいい」という言葉、頑張りすぎの人にとってはとても良い言葉だと思います。

でも、今の流行りの「頑張らなくてもいい」はちょっと違うんじゃないの?と思うのです。

 

自分が望むものを手に入れる時、やっぱり頑張ることって大事じゃない?

願ったら叶うなんて、平安時代の人ですら言ってません(笑)

自分の力で達成するからこそ、喜びにつながるのだと言っています。

 

浮舟のように、どんなに恥ずかしくても、ここぞという時、自己主張することは大切だ。

ここで人任せにして、なぁなぁにしていたら、いつものように周囲の人に操られ、果ては尼君によって中将と結婚させられていただろう。

自分の力で願いを達成したという思いは”うれし”という生きる喜びにつながって、自信につながっていくのだ

 

宇治十帖に出てくる浮舟は、周りに流されて、薫と匂宮の2人の男性に弄ばれ、結果自殺未遂を起こすのだけれど、最後の最後で自分の意思を貫いて尼になるのです。

 

周りの人には「まだ若いのに」とか「きれいなのに」とか、「都から薫が迎えに来てくれているのに」とか言われても、自分は尼になると決めて譲らない。

 

もしも、浮舟が「尼になれますように」なんて紙にしたためてお願い事をしていただけなら、きっと尼にはなれなかったはず。

彼女が尼になれたのは、どんなに反対されても「尼になる」と決めて、僧都に「尼にして欲しい」と言い続けたから。

 

控えめであることが美徳とされた平安時代の女性が、これだけ頑として譲らないって、相当の覚悟だと思います。

 

それだけ本気だったってことですよね。

そして自分で自分の幸せを手に入れたからこそ、嬉しいんですよね。

 

「頑張らなくていい」って、すごく魅力的に聞こえるかもしれません。

でも、本当に頑張らなくてもいいんですか?

 

自分が手に入れたいものがあっても、「頑張らなくていいから」と見過ごすのですか?

「願えば叶う」なんて夢物語の中にいつまでいるんですか?

願っても叶わなかったら、「これは本当に叶えたいことじゃなかったから」なんて、いつまで自分にウソをつくんですか?

 

欲しいものは自分の力で手に入れる。

だからこそ、嬉しいし幸せだし、頑張って良かったと思えるんじゃないかと思いますよ。

 

源氏物語の教え――もし紫式部があなたの家庭教師だったらには、紹介した以外にも、今の時代も多くの女性が悩んでいるだろうことのヒントがたくさん書かれています。

 

1000年前の女性も今の女性も、同じことで悩んでいます。

ということは、それこそが「人間である」ということなのかもしれません。興味のある方は、ぜひ、読んでみてくださいね。