
「相手のやる気を奪う」「相手の成長意欲を奪う」行為というと、どんなことを想像しますか?
相手をけなすこと?
相手を認めないこと?
相手を無視すること?
確かにどれも相手のやる気や成長意欲を奪う言葉だけれど、明らかに相手に対しての悪意を感じる言葉でもありますよね。
そうではなくて、「相手にとって良かれ」と思ってやっていることなのに、実は相手の意欲を奪うことってあるのです。さて、何でしょう?
答えは2つ。
ひとつ目は、相手に寄り添い過ぎること
ふたつ目は、何でも助けてあげること
意外だと思いますか?
誤解されそうな回答ではあるので、少し説明をさせてくださいね。
相手に寄り添いすぎる行為は、甘やかしになる恐れがある
相手に寄り添うこと。このこと自体は悪いことではありません。
カウンセリングを学べば、必ず「相手に寄り添いましょう」という言われます。
相手に寄り添うというのは、クライアントの気持ちを考える、クライアントに共感するという意味合いだと、私は捉えています。
確かに辛い経験をしていたり、苦しい気持ちを持っているクライアントから相談を受けて、いきなり突き放したような言葉を言えば、信頼関係は気づけませんよね。
クライアントではなく、同僚や部下でも一緒です。
「◯◯で辛いです」
「××で悩んでいます」
カジュアルに悩みを相談する人もいますが、会社で上司や同僚に悩みを打ち明ける時って、けっこう考えると思うのです。
勇気を出して相談したのに「えっ、そんなことで悩んでるの?」なんて言われたり、「それはあなたの考え方が間違ってるんじゃない?」なんて否定されたりしたら、もう2度と悩みを相談しようとは思わないはず。
だから、最初は相手に寄り添うこと、相手を受け止めることって大事なことだと思っています。
ただ、寄り添うって一歩間違えると「相手の力を信じていない」行為になると感じていて。
相手の力を信じていないから、ずーっと隣に寄り添って「大丈夫だよ」「あなたはそのままでいいよ」と言い続けてしまうのではないかな。
これって甘やかしているのと一緒です。
甘やかされたらどうなりますか?きっと、その状態が心地よいし、そこから抜け出したくなくなるんじゃないかな。
寄り添うべき時期を過ぎたら、寄り添い続けるのではなくて、相手を信じることが大事だと思うのです。
「あなたならやれる」
「あなたなら出来る」
そう信じて見守ること。それは、隣に寄り添って、いつも慰めて涙を拭いてあげることではなく、一歩離れたところから、相手が自分の力で立ち上がるところを待ってあげることじゃないかと。
私は誰でも自分で立ち上がる強さを持っていると思っています。
それを「寄り添いすぎた結果、甘やかして奪う」って、相当に罪なことなんじゃないかな。
「何でも助けてあげること=親切」だと思ったら大間違い
世話好きな先輩や上司に多い、「部下がやるべきことに先回りして手や口を出す」
これもやる気や成長意欲を奪う行為ですね。
単なる『おせっかい』ではないですよ。相手から「奪う」行為だと自覚しないといけません。
誰かが全部助けてくれるなら、自分で工夫することもないし、自分で考えることもなくなります。
部下や後輩が自分で考えてやろうとしたことを
「いや、それは違うよ」
「そうじゃなくてこうした方がいいよ」
「私の時はこうやってやったよ」
こんなことばかり言われたら、考えるのがイヤになりますよね。
私なら絶対にイヤです。しかも、相手は「良いことをした」と思っているからタチが悪い(笑)
そして、上司や先輩が自ら相手の「考える力」や「やる気」を奪っておきながら、
「うちの部下は全然自分で考えないで、すぐに私に頼るんだよ」
「うちの後輩は、私がいないと何も出来ないんだよ。私が部下と同じぐらいの時は、もっと率先して動いていたけどね」
なんて言い出すんですよ。
でも、私に言わせれば「そうやって部下や後輩を育てたのはあなたですよね?」です。
何でも助けてあげることは、親切でも良い上司や先輩でもありません。
相手の力を奪うダメ上司であり、ダメ先輩ですよ!
「寄り添いすぎること」「何でも助けてあげること」は依存を生む
寄り添いすぎることも、何でも助けてあげることも、どちらも依存を生む行為です。
依存とは「あの人がいないと・・」の世界ですね。
依存は、うまく機能している(という言い方は正しい?)は良いのです。
「あの人のおかげ」と尊敬してもらえるし、頼ってもらえるから。依存されている側も、自分が必要とされて承認欲求も満たされますしね。
ただ、ひとたびこの関係がうまくいかなくなると、「あの人のせいで」に変わるのです。
そして、「あの人のせいで」に変わった後にどうにかしようと思っても、なかなかうまくいかないことが多いのです。なぜなら、考える力や成長意欲を奪ってしまったから、そこからリカバリーが出来なくなっているのです。
部下や後輩を思ってやった行為のはずなのに、結局相手から考える力や成長意欲を奪ってしまう。そして、最後に「あなたのせいで」とまで言われてしまう。
これって悲しいことですよね。
だから私は、寄り添い過ぎること、何でも助けてあげることは危険だなと思うのです。ではどうすれば良いか?ということなのだけど、
見守ること、
信じること、
正しくフィードバックすること
だと思うのです。
もちろん、困っていたら助けることは必要だけれど、やり方ではなく考え方を教える。
「あなたはどうしたい?」
「あなたはどう考える?」
「それは、本当にそういう捉え方しかできない?」
「他にどんなやり方が考えられた?」
こうやって問いかけ続けることです。根気も忍耐もいるけれど、これがとても大事です。
可能性の塊である部下や後輩を、途中でやる気を奪わずに育てたい!と思うなら、ぜひ「待てる」人になってください。
部下や後輩が成長すると同時に上司や先輩である、あなた自身も成長するはずです。