
こんばんは。古賀ちぐさです。
コロナ禍でリモートワークが増えたり、ご飯を食べながら誰かと気軽に話ができなくなったりしているので、「誰かと話したい」という欲求が増えていますよね。
Clubhouseの流行も、「誰かと気軽に話したい」という欲求をうまく捉えたからだと思っています。
「リモートで雑談の時間が減って、コミュニケーションが不足している」と危機感を覚えている企業も多いしね。
だからこそ今、対話やコミュニケーションが大事だと言われているし、私もコミュニケーションセミナーを企画したり、発信したりしています。
でね、コーチングも含めコミュニケーションを学び始めると、学びを通じて自分が変容したり、ワクワクしたりして、ついついテンション高くなるんだけど。
残念ながら、それを無意識のうちに他者に押し付けてしまうこともあるのです。
この間も、知人が「それってあなたの本音じゃないよね。どうして本音で話してくれないの?って言われてウンザリした」と言っていて、ものすごくわかるなーと。
私も「本音で話してない。なんで感情を出して本音で話さないの?すごく寂しい」と言われて、大きなお世話だと感じることが。
もちろん本音で話せる人や場があるのは、素敵なことだと思う。
でも本音って人から強制されて言うものではないと思うし、本音で話せないと言うことは、まだそこまでの信頼関係ができていないか、話す必要がないと思っていると言うことですよね。
しかも「本音を言ってくれないなんて、(私が)寂しい」って、なぜあなたの寂しさを解消するために、私が本音を話さなければならないのか?と感じちゃうのです。
人によって、すぐに他者に対してオープンになれる人と、じっくり時間をかけて少しずつ心を開いていく人がいます。
さらに言うなら、「仕事の場においては、仕事に必要なことだけ話したい」と思う人もいる。
私は「相手の『言葉の奥』にある背景や思いが大切」だと伝えているけれど、それは決して相手に無理矢理言わせることでも、相手を暴くことでもないんですよね。
そこを履き違えちゃいけないなと思うのです。
ちなみに私はよく、「ビジネス本音」だと言われます。
仕事で必要なこと、仕事に影響しそうなことは、きちんと話をするけれど、そうでないところは特別話したいと思わないんですよね。
全部をさらけ出す場所は別のところにあるし、それでいいとも思っています。
組織や人の支援をしていると、ついつい自分と同じテンションを相手に求めてしまいがちだけれど、相手には相手の思いやペースがあるし、本音を言うことだけが大切なことではないと私は思う。
そんな前提を持ちながら、それでも本音を言ってくれる相手がいるなら、それはとても素敵なことだし、それだけの信頼関係が築けたことが素晴らしいことだと思う。
そして「本音を言わなくちゃいけない」と思っている人がいるなら、そんなことないよ。
言いたいなら言えばいいし、言いたくないなら言わなくていい。
「本音を聞かせて」と言われても「言いたくない」と答えていい。
それでもしつこく聞いてくる人がいるのなら、距離を置くのも一つの方法だと思います。
PS.
「コミュニケーションをよくする=本音を言わせる」ことではないです。
人それぞれ物の見かたが違うことを知り、相手の物語が物事を作っていると言うことを知ることです。
名画と言われる絵を見ながら参加者同士で対話することで、物の見方や捉え方が違うこと、一人ひとりの物語が違うことを学ことができます。
特別なスキルも準備もいりません。楽しんで参加していただくだけでOK。ぜひご参加ください。